貘のたべかす

日記のようなエッセイのような何か

つくえの上のエルフェン・トープ

時折お会いしてお買い物なんかを楽しんでいる、フォロワーさんと言うべきかおともだちと言うべきか。とにかく仲良くして頂いている、趣味が合うなあというような方と先日お会いしていた。クリスマスの頃になると会うという事をここ数年続けていて、わたしからクリスマスプレゼントを用意したように、その方からもクリスマスプレゼントを頂いた。

 

ミニチュアのビオトープのような、手のひらに乗るサイズのちいさなチューリップの入ったドーム型のライトだった。なんとチューリップがぴかぴかに光るのだ。これがすごくかわいいし、ひとつだけでも明るくなるしで、わたしはすっかり気に入っていそいそとつくえに飾った。ベッドの辺りとも迷ったのだけれど、落として割るのが嫌でその可能性が低くなるつくえに置く事にした。刺繡のコースターと、透明な星のストーンを一緒に置いた。なんとも満足過ぎる空間が出来上がった。

 

ところでわたしにはオリジナルの創作でぽつぽつと書いているシリーズがある。薔薇の妖精と、その世話をする庭師であるところのハーブの妖精の物語だ。今は掌編集として、ひとりの薔薇にひとりのハーブ、その妖精の組み合わせを書き連ねている。

 

ただ、話の大筋としてはその中のひとり、エルダーという、いちばん後輩にあたるハーブの妖精――ガーデナー、が、壊された彼等の暮らす空中庭園から落ちていく。それが物語のはじまりなので、つまりこの掌編集は全て前日譚にあたるものである。

 

花の種類に薔薇を選んだのは、品種の多さとその名前に惹かれる事の多い事、たくさんの薔薇を見る機会に恵まれている事、そして単純に、わたしが薔薇を好きだから、というのが理由だった。ずっとサン=テグジュペリの「星の王子さま」と、そして何よりメアリー・シシリー・バーカーの「フラワーフェアリーズ」が好きだったのが書くきっかけのひとつだったようにも記憶している。

 

随分昔から構想を練ってるので少しあやふやだ。ともかくわたしは薔薇を相手に四苦八苦しつつ楽しみつつ小説を書いていて、そしてなんでこのはなしをしているかと言うと、今わたしの部屋を照らしているこのチューリップのライトを光らせた時のわたしの感想がこうだったからだ。

 

「小さくて、可憐で、妖精が住んでそう」

 

そう思ってから、ずっと、チューリップの根元、苔むすような草地の上に、わたしは妖精の姿を見ている。健気に光るチューリップのために庭を整える、ガーデナーの姿が。

 

物語を感じる品、というのはわたしの部屋の中には決して少なくない。けれどそれは大抵、わたしが選び抜いたからで、こんな風にわたしに書きたい!と思わせてくれるようなプレゼントを頂いたのも久しぶりだった。チューリップと、ハーブじゃなくてもいいかもしれない。蝶々とか蜜蜂とか、そういう話でも。でも、やっぱり、妖精が住んでるよなあ、と思わずにはいられないのだ。

 

わたしの机の上には、すっかりティル・ナ・ノーグが生まれてしまったらしい。どうしようかな、と、嬉しい焦燥がある。物語が、わたしの中で、確かに生まれた。その事が嬉しかった。

 

小説がわたしに授けてくれるものがある事、そして、わたしのためにそんなものを選んでくれる人がいる事。それがすごく嬉しくて、昨日日記にも長々とこんなような事を書いたし、今日もこんな風に書いている。だから次は、小説を。わたしのつくえの上のエルフェン・トープを、言葉で表現したいなと思ってる。